微生物学者、発酵食品のマタギになる』著者に聞く、東北の発酵文化

東北には、味噌づくりに使われる「味噌玉」や、大豆を発酵させてつくる郷土食「ごど」、ミズキの樹液に自然に集まる天然酵母「ヤマガゼ」など、その土地ならではの貴重な発酵文化が今も息づいています。2026年6月に発売された『微生物学者、発酵食品のマタギになる 自然が醸す菌を求めて』は、そんな東北の発酵文化を二人の微生物学者が現地を歩きながら調査し、その魅力をまとめた一冊です。今回は著者の星野保先生と本田洋之先生、編集を担当したナイデルの河守寿子さんに、本書に込めた思いや、未来へつなぎたい発酵文化について伺いました。

味噌玉から始まった発酵の旅

星野先生が味噌を研究し始めたのは2020年頃。それまでは、雪の下で植物に病気を起こす「雪腐病菌」をはじめ、寒さを好む菌類を長年研究していました。

「雪腐病菌を研究していましたが、学生にはなかなか興味を持ってもらえませんでした。家族に相談すると、『食べ物なら多くの人が興味を持つのでは。発酵食品はどう?』と勧められました」

その言葉をきっかけに、東北で春先に仕込む発酵食品なら、寒さを好む菌類がいるかもしれないと考えた星野先生。そこで出会ったのが「味噌玉」でした。煮た大豆を丸めて乾燥させ、自然に付着する菌の力を利用する、昔ながらの味噌づくりです。

「子どもの頃、軒先に味噌玉が吊るされていたことを思い出しました。研究者として生き残るために始めたテーマでもありましたが、調べていくうちに面白くなり、すっかり発酵食品の世界にはまっていきました」

味噌玉から始まった探究は、「ごど豆」「ヤマガゼ」など、東北各地に残る発酵文化へと広がっていきました。

発酵好きから乳酸菌研究へ 本田先生が歩んできた道

星野先生の研究に加わったのが、同じ八戸工業大学で乳酸菌を研究する本田先生です。「星野先生から声をかけられ、巻き込まれた形です(笑)」

意外にも、子どもの頃は理科より読書が好きだったそうです。「カエルやトンボなどの生き物も苦手で、夏目漱石の『坊っちゃん』を夢中で読んでいました。一方で漬物は昔から大好きで、特に九州のつぼ漬けを親にねだって買ってもらっていました」

キムチやチーズなどの発酵食品も好み、次第に発酵そのものに興味を持つようになります。大学で農学を学び、卒業後は食品会社で乳酸菌の研究に携わった後、八戸工業大学へ。現在は北東北に残る発酵食品「ごど」「すしこ」などの乳酸菌を研究しています。最近は発酵食品の味比べが趣味で、九州や北陸の甘口醤油、青森の産直で集めたニンニク味噌で冷蔵庫が埋め尽くされているのだとか。

雪の下に生きる菌から発酵食品へたどり着いた星野先生と、「食べること」から発酵に興味を持った本田先生。異なる入口を持つ二人が、それぞれの専門分野から東北の発酵文化を見つめています。

専門的な研究を、親しみやすい一冊に

本書には菌類や乳酸菌だけでなく、味噌の歴史や地域に残る言葉、その由来についての考察まで登場します。専門的な内容を扱いながらも、文章は軽快で親しみやすく、研究者二人の人柄が感じられます。
「普段は客観的な事実を淡々と記す文章が中心です。今回は主観に振り切り、親しみやすく、自分らしい表現を心がけました」と星野先生。本田先生も、星野先生のこれまでの著書や、普段から研究を共にする関係性を意識しながら執筆したそうです。

二人の文章を一冊にまとめたナイデルの河守さんは、編集にあたって、それぞれの持ち味を生かすことを大切にしました。

「星野先生らしいユーモアと、本田先生の読みやすさを残すことを大切にしました。専門的な内容も、最後まで難しくなりすぎないよう心がけています」

研究内容を分かりやすく伝えながら、著者の個性も楽しめる一冊に仕上がっています。

一着の上着から始まった出版へのご縁

本書が生まれるきっかけは、発酵食品とは意外なところにありました。2023年頃、日本旅行作家協会のパーティーで、河守さんの目に留まったのが、背中にアイヌ文様が施された上着を着た星野先生でした。

「とても素敵な上着で、気になって声をかけました」

そこから星野先生の研究へと話が広がり、興味を持った河守さんが「何か一緒にできることはないでしょうか」と声をかけたことが、出版へとつながりました。

取材中も先生方の話に耳を傾け、興味を持ったことを次々に尋ねる河守さん。知らない世界への好奇心を素直に楽しむ、チャーミングな人柄が印象的でした。一着の上着をきっかけに生まれたご縁が、二人の研究を一冊の本として読者へ届けることになりました。

発酵文化から見えてくる、土地と人の暮らし

味噌玉の魅力について語る星野先生と本田先生 島守地区にて

星野先生が本書を通して伝えたいのは、発酵食品が自然の菌と人との関わりから生まれ、受け継がれてきた文化であることです。

「日本では麹菌が身近ですが、過去には様々な菌類が用いられていましたし、ヨーロッパにはカビを利用したチーズ、インドネシアには大豆を発酵させるテンペがあります。どれも、その土地で昔から引き継がれてきた文化です。そのことを改めて知ってもらうきっかけになればと思います」

本田先生は、地域や家庭によって異なる味も発酵文化の魅力だと話します。

「地域に残る家庭の味は、それぞれ違い、標準化されていません。そこが面白いところです。本では実際に味わってもらうことはできませんが、そのおいしさまで伝わればと思います。東北を訪れた際には、ぜひ『ごど』や味噌を味わってみてください」

「ごど」が現在も受け継がれ、若い世代にも知られていることを、本田先生は喜んでいます。
菌を入り口に、その土地の風土や食、人々の暮らしまで見えてくる。それも、本書の大きな魅力です。

菌をめぐる探究は、これからも

現在は菌類学や建築学などの研究者とともに、「食」「人」「住まい」に関わる菌のつながりを調べる研究プロジェクトも進んでいます。さらに、本書に続く第2弾も構想中。菌類学者の出川洋介先生を中心に、今回のフィールドワークにも参加した発酵研究家の内田華子さんなど、新たなメンバーにも執筆を依頼する予定です。

星野先生は、まだ知られていない発酵文化にも目を向けています。「岡山には、インドネシアの発酵食品『テンペ』を味噌の仕込みに応用したものがあります。東北の味噌玉のように、一般的な麹を使わず、自然の菌を利用した味噌づくりが、ほかの地域にも残っているのではないかと考えています」

さらに、どんぐりを使った味噌についても研究を進めています。「昔ながらの味噌づくりや、地域ならではの発酵食品をご存じの方がいたら、ぜひ情報をお寄せください」

発酵食品を調べることは、菌を調べることだけではありません。土地の風土を知り、人々の暮らしを知り、世代を超えて受け継がれてきた文化を知ることでもあります。『微生物学者、発酵食品のマタギになる 自然が醸す菌を求めて』は、そんな「菌」と「人」の物語を伝えてくれる一冊です。

『微生物学者、発酵食品のマタギになる 自然が醸す菌を求めて』
著者/星野 保・本田 洋之、発行/ナイデル、定価/2,750円(税込)

【星野保さんプロフィール】
1964年東京都生まれ。名古屋大学大学院農学研究科博土後期課程退学。博士(農学)。専門は菌類の低温適応。
工学系研究所勤務を経て、2019年より八戸工業大学教授。著書に「菌は語るミクロの開拓者たちの生きざまと知性』(春秋社)、「すごいぜ!菌類」(ちくまプリマー新書)、『菌世界紀行 誰も知らないきのこを追って』(岩波現代文庫)などがある。また、東奥日報、デーリー東北などにも連載(2021~2023年)。

【本田洋之さんプロフィール】
1982年宮城県仙台市生まれ。東北大学大学院農学研究科博士前期課程修了。博士(農学)。
食品会社で11年勤務。その間、研究所、本社、工場での業務を経験した。現在、八戸工業大学工学部工学科准教授。専門は乳酸菌と食品科学。発酵食品をこよなく愛し、最近は醬油の味くらべに凝っている。冷蔵庫には常時10種類以上の醤油が並ぶ。

文/秋山昭代

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