【PR】まるみ麹本店 山辺啓三社長×味噌プレス 藤本智子対談「味噌は“人の命に最も近い”食べ物」

“自然本来の力を最大限に引き出したい”という思いから独自の「炭蔵」を生み出し、味噌や甘酒などを丁寧につくり続けている「まるみ麹本店」。その思いは多くの自然派思考の人々の共感を生み、絶大なる支持を得ています。山辺啓三社長と味噌プレス編集長・藤本智子が味噌について語ります。

山辺啓三(やまべけいぞう)
1962年生まれ、岡山県出身。大学卒業後、味噌の研修をし、1986年にまるみ麹本店に入社、2005年に代表取締役社長に就任。趣味は、尺八など音楽。

藤本智子(ふじもとともこ)
1985年生まれ、神奈川県出身。2011 年に味噌の普及活動を開始。イベントやメディア出演を通して味噌の魅力を発信している。株式会社ミソド代表取締役、「味噌プレス」編集長。

藤本●山辺社長とは、もう10年くらいのお付き合いになりますね。本日の対談、楽しみにしておりました。早速ですが、改めて御社について教えてください。

山辺●まるみ麹本店は、農家から預かったお米を麹に加工する麹屋として、1950年に私の父で現会長の山辺光男が創業しました。当社のある岡山県の美袋(みなぎ)は、山々に囲まれ、美しく豊かな自然に恵まれた場所です。

藤本●「美袋」っていい響きですね。美しい袋(お母さん)⁉ まさに味噌にぴったりの地名だと思いました。創業以来変わらない信条は、「自然に学ぶ心」とのことですが、そこに辿り着いた経緯を教えてください。

山辺●創業後しばらくすると、農薬や化学肥料などが急速に普及し、さらに環境汚染も進み、お米の品質が悪化し麹づくりに影響を与えるようになりました。父は思考錯誤で醸造方法を模索するものの、多忙を極めた結果、体調を崩してしまいます。

体質改善をする中で辿り着いた答えは、自然に逆らわず身体を本来の姿に整えること。そんな経験が、独自のこだわりや醸造方法を生み出すきっかけとなりました。

藤本●身をもって体験されたことで、今の醸造方法が確立されたのですね。今でこそ自然派思考も広く浸透していますが、当時は、時代に逆行するような感じもあったのでしょうか。

山辺●いわゆるバブルの時代でしたからね。当時はアトピーという言葉もなかったです。「電子技法」という炭を活用したマイナスイオン効果で劣化した原料を自然な状態に蘇らせるのですが、研究所で分析しても明確な証明ができず、悶々としていました。昨今では、量子力学など当たり前に認められてきましたし、心晴れ晴れです。

話は変わりますが、藤本さんも肌荒れや体調不良を経験してから味噌の世界にのめり込んだようですね。10年くらい前、初めてミソガールの存在を知ったときは驚きました。それまで味噌業界に頭にお椀を乗せる人はいませんでしたから(笑)。

藤本●伊勢志摩サミットでのプレゼンをはじめ、これまでたくさんのイベントにご協賛いただきましたね。改めて、ありがとうございます。おかげさまで少しは熟成できたと思いますが、まだまだこれからです。山辺社長は、この道35年とお聞きしています。大切にしていることを教えてください。

山辺●人間の体は、食べ物でできています。そのため自然環境の劣化は、食べ物の劣化、そして、人の体内環境の劣化にまで影響します。私たちはこのことに早く気づき、自然の仕組みについての学びを深めてきました。

健康で安らぐ毎日につながることを願いながら、これからも味噌をつくっていきたいと思います。しかしながら、味噌汁を飲む人が減ってきていることには、危機感を感じています。

藤本●小学校などでの出前授業の際、「今朝、お味噌汁飲んできた人?」と聞きますが、数名しか手が挙がらないことが大半です。でも、みんな味噌汁は大好きなんです。この歯がゆい状況をなんとかしたいです。

山辺●これほど豊かな時代なのに、生活習慣病や心の病気が増加しているのは、食生活の変化も影響していると思います。特に幼少期の食生活は大切なので、できるだけ手づくりで自然に近い食べ物を食べてほしいですね。また、もともと保存食であるお味噌は、災害時などいざという時にも役立ちます。もっともっと味噌を活用していただきたいと思います。

藤本●全く同感です。話は変わりますが、山辺社長が半生をかけて追求し、思いの限りを詰め込んだ最高傑作ともいえる「五百の春」(ごひゃくのはる)が、いよいよ発売されましたね。私もいただくたびに幸せを噛みしめています。改めて、商品について教えてください。

山辺●自然の恵みを最大限に引き出すため、原料にとことんこだわりました。厳選した国産の自然栽培米・大豆、ミネラルバランスに優れた天日結晶塩を使用しています。玄米麹ならではのコクも加わり、奥深い味わいが特長です。

完全栄養食といわれる玄米と丸大豆を発酵することで、さらに栄養吸収も高まっています。「五百の春」の名は、雄大な自然を大切にした荘子の一節から命名しました。

藤本●「五百の春」は、これまでの集大成ともいえるお味噌ですね。玄米麹にこだわったきっかけを教えてください。

山辺●昔、玄米を食べていた人々が白米を食べるようになってから脚気が増加しました。ビタミンB1が欠乏したことが要因の一つとされていますが、玄米を精米することで大部分のビタミンB1やミネラルなどが失われてしまいます。

そこで、残留農薬の心配のない自然栽培米を使用し、独自の製法で玄米をまるごと麹に。マクロビオティックなどで世界的に広まった「食べ物をまるごといただく考え」 に合った味噌であり、これまで目指してきた“自然に学ぶ味噌づくり”につながります。

藤本●玄米食を続けるのは少しハードルが高い気もしますが、これなら手軽に玄米生活が楽しめ、安心して食べられます。玄米の粒がしっかり残っていて、それを味わいながらいただく時間は至福のひとときです。ところで、安定的に原料を仕入れるのは、大変ではないのでしょうか。

山辺●農家の方々と無農薬のお米や大豆の栽培に取り組みたいと願っていたところ、「奇跡のりんご」で知られる木村秋則さん指導によるお米づくりが、地元岡山で始まったのです。玄米の入手から玄米麹の加工技術まで人とのご縁、タイミングがすべてうまくいきました。

藤本●山辺社長のお人柄だからこそ完成した商品だと感じずにはいられません。そして、御社といえば「炭蔵」が有名ですね。

山辺●当社の蔵は、床下や壁、天井などを備長炭で覆っています。備長炭を敷き詰めることでマイナスイオンの多い自然に近い環境となり、安定して発酵が進みます。また、麹や味噌づくりに使う水は、マイナスイオンをチャージし、自然の湧き水に近い状態にした「電子イオン水」を使用。「電子イオン水」を使い始めたことで、昔の麹の品質が蘇ってきたのです。

藤本●味噌は生き物ですから、環境が大事なのですね。しかも木桶で熟成しているとのこと。木桶仕込みのよいところを教えてください。

山辺●「五百の春」は、吉野杉木桶に仕込み半年程度熟成させることで、ふっくらやわらかく深い味わいを醸し出しています。発酵菌がいきいきと発酵できる環境をつくるために、木桶を使用することが大切な要素の一つです。

自然栽培原料のお味噌を熟成するには、やはり木桶でなければと当時日本最後の木桶職人と呼ばれていた方に弊社独自のこだわりの木桶制作をご相談したところ、「やってみよう」とお声をいただき、その1年後に木桶が届いたときは感無量でした。

藤本●これ以上こだわることがあるのかというほどの、こだわりぶりですね。最後に、味噌づくりを通して伝えたい思いを教えてください。

山辺●収穫した穀物に“発酵”という生命を与える発酵食品。麹菌は国菌とも呼ばれ、まさに日本の気候風土が醸し出したものです。米と大豆を使うことで、人に必要な必須アミノ酸もバランスよく含み“人の命に最も近い食べ物”と考えています。

先人たちがつくり上げた味噌を突き詰めていくと、自然と共生するとはこれだと言える事実に気付かされます。

藤本●“人の命に最も近い食べ物”という意味が少しわかった気がします。味噌はスゴイですね。本日は、ありがとうございました。

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