玉海力・河邉幸夫さん「どすこい!おもてなしの味噌ちゃんこ鍋」

ちゃんこ料理店を多店舗展開する河邉幸夫さんは、「玉海力」の名で知られる元力士。14 歳で相撲界へ入門。24 歳で念願の幕内昇進、29 歳で引退後、ちゃんこ料理店「玉海力」をオープン。「ちゃんこ」とは、お相撲さんが食べる食事全般のことをいう。会社経営の一方で2004年から2年間はPRIDEに参戦、俳優にも挑戦するなど、次々と新しい世界を広げる河邉社長のさらなる夢について伺った。(聞き手/ ミソガール・藤本智子)

力士になったきっかけは。

小学6 年生で180cm、100kg、足のサイズ29cm と、並外れた体格でしたので「相撲界で生きる道」が自然と開かれていました。当時はあり余る体力と負けん気でケンカに明け暮れていましたが、14 歳で入門した瞬間、力士の真剣勝負の世界に圧倒され「真面目にやるしかない」と。その日からはただひたすら強くなることだけを考え、稽古に明け暮れました。中卒力士としてはトントン拍子の出世をし、毎朝起きるたびに強くなっている実感がありました。

力士時代の苦労話があれば教えてください。

順調に力士として昇格するのと同時に、同世代が持てない多額のお小遣いも自由に使えるようになりました。稽古後の夜遊びも忙しくなり、睡眠時間や体のケアがおろそかになり、次第にケガをするようになってしまったのです。そんな中、私が20 歳の時、厳しい稽古で力士として育ててくれた親方が急死。そこからは心を入れ替え初心に戻り、一心不乱に稽古に励みました。「玉海力」へと名を変えての新しい土俵人生がスタート。24 歳で念願の幕内昇進を果たしました。

力士時代、「味噌」はどんな存在でしたか。

巡業で全国を旅しますが、東京で育った私には、九州の甘い麦味噌と中部地方の赤だし文化は衝撃でした(笑)。また力士たちの元気の源「力士味噌」(にんにく味噌)には何度助けられたことか! 力士にとっては「食べること」も仕事です。どんぶり飯5 杯も力士味噌さえあればおいしく食べられました。現在この力士味噌を再現した商品をお店で手づくりして販売しています。そして、なんといっても日常の「ちゃんこ鍋」といえば味噌が定番でしたので、味噌はなくてはならないものでした。

第二の人生にちゃんこ屋を選んだ理由はなぜですか。

29歳で引退後は不安いっぱいの第二の人生をスタート。ケガの治療で貯金も使い果たした上、相撲しか知らない私は何をしたらいいかと途方に暮れました。その頃家族ができたこともあり、とにかく生活のためと必死で模索し、修行時代に覚えた「ちゃんこ」を生かさない手はないと、「どすこい酒場 玉海力」オープンするに至りました。

「味噌ちゃんこ鍋」のおすすめポイントは。

玉海力のちゃんこ鍋は、昆布、どんこで前日より「一番だし」をとり、翌朝から時間をかけ、牛すじ、豚足、鶏がら、たくさんの野菜と愛情を込めて「だし」をとり、そこに17 種類の食材を盛り込みます。お相撲さんが普段食べている「ちゃんこ鍋」はメインとなる肉、魚は1 種類。好きなものばかり食べてしまうのを防ぐためですが、玉海力のちゃんこ鍋は、新鮮な食材がたっぷり入った風味豊かな味。温野菜で栄養もとれてヘルシーと女性客にも人気です。しょうゆ、塩、キムチ味もありますが、寒い冬は特に味噌味がおすすめです。

経営者としての理念は何ですか。

「関わるすべての人を幸せにする企業でありたい」。「厳しいことの中にこそ楽しさがある」と思うので、社員には厳しく、ふつう飲食店ではやらないような、たとえば月に一度、課題図書の感想文を提出させるといった取り組みも行っています。継続することで、社員はみるみる変わっていくし、それが店の活気につながっていると思います。経営者として利益を生むことだけでなく、社会の厳しさと同時に「生きる楽しさ」「人間としての在り方」を伝えることが社員に対する私の役目だと思っています。

今年の予定や夢について教えてください。

地域や人との関わりが希薄になっている日本の現状を見ていると心配になります。さらに、今の子どもたちは、挫折に慣れていないから、人間力が弱い。親は愛情がゆえ、過保護になり過ぎていると思います。これからは経営者であると同時に、「人材教育」という観点で勉強や実践を重ね、日本の未来づくりにも貢献していきたい。4 月からは産学連携で、IT の専門学校で授業を行うことも決まっています。伝えたいのは、古きよき「和のおもてなしの心」。未来を担う若者たちの力になれたらと思っています。

Yukio Kawabe joined sumo at 14 and became a top-division wrestler at 24. He retired from sumo at 29 and opened the chanko (a kind of stew commonly eaten by sumo wrestlers)
restaurant “Tamakairiki,” which was his sumo name. He places a high value on employee training and offers “Miso Chankonabe” with the spirit of hospitality.

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